同化か異化か

子育ては大変な仕事の一つです。であるとは分かっていても、子育てをするために「あるべきもの(お金)」がないといけないと考え、夫婦ともに就労することが優先されています。子ども自身が、しあわせであると感じることは何でしょうか?お考えになったことがおありでしょうか。何も、働くことがいけないというのではありません。なぜこのようなことを申し上げるかと申しますと、以下に記す話を聞いたことがあるからです。みなさんのお考えをお聞きしたいと思います。

 日本の母親とアメリカの母親について調査がなされました。その結果、一般的にどういうお母さんが理想的か、ということについてはよく似ているそうです。例えば、明るいお母さん、優しいお母さんとかいうように。しかし、大きな違いがありました。それは子どもに対する対応のあり方です。つまり、子育ての具体的なあり方です。日本のお母さんの子育ての基本は「同化」であり、アメリカのお母さんの子育ての基本は「異化」であるということです。

 具体的に申しますと、お母さんが食事を作り、食卓に出すと子どもが「これは嫌いだ、食べない」と言ったとします。そのとき、日本のお母さんもアメリカのお母さんも「そんなこと言わすに食べなさい」と言います。

 そこまでは同じですが、それでも子どもが「食べない」と言うと、日本のお母さんは「あなたのために一生懸命作ったんだから食べてちょうだい」と頼むわけです。それでも食べないと、「このおいもさんは、あなたに食べてもらおうと熱いのを我慢して煮られたのよ、だから食べてあげなさいよ」というのです。相手(いも)のことを思いやって、それを食べるように促します。これが「同化」です。

 アメリカのお母さんは「わたしは親だから子どもに食べさせなければいけません。あなたのために作ったのだからあなたはこれを食べる義務がある」と義務と権利を主張します。それでも子どもが食べないと、「じゃ、夜の食事のときにまた会いましょう」といって、食べさせずに片付けてしまいます。これが「異化」です。

保護者のみなさんはこの違いをどのようにお感じになりますか?「わたしは日本人だからアメリカ人の真似をする必要を感じないわ」というのでしょうか。それもごもっともです。

 大事なことは、わたしが思いますに、子どもが育つためには親が必要であるということを、親御さん自身がどこまで認識しているかではないでしょうか。他者の真似をすることはありません。しかし、他者の行為に関心を持つことは必要でしょう。この「関心」がその人を成長へと促します。

 モンテッソーリは、子どもが持っている関心がその子の集中力を高め、「敏感期」にある能力を刺激し、満足感を味わうと言います。この満足感の後についてくるのが、「成長」です。特に、幼児期にあるこの時代に、子育て期の親の「義務」を果たしていくことが、「幸せな家庭」のあり方の基本にあるような気がします。財政が伴わなくても、子どもの満足した顔を見られることが、親・大人であるわたしたちの幸せになることを願っています。

 子どもの成長は遅々たるものです。わたしたちもそのように育ってきました。しかし、着実な歩みができるように側面よりお子さまの成長を支援することが、まだ見えない将来のお子さまの姿に反映されてくるのは確実です。この信念を持ちながら「今」のお子さまに関わるには、片手間ではできない重労働です。見返りは、10年後20年後です。期待して待ちましょう!

おわり