「みとめる・ほめる」

 日本社会では、何かの運動を展開するときよく「三無い、四 無い」標語を立てます。とある公園のフェンスにも、「ちらさない、こわさない、よごさない」の看板が掛けられていました。その昔、交通安全週間の標語とし て採用された、わたしの好きな言葉がありました。「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」です。

 ご記憶にあるかと思います。これは、当時の小学生が応募したものだそうです。偉く感心しました。日本は狭いんだ、という自意識があります。無意識のどこ かで、「日本は狭い」と感じてはいますが、言葉に出されますと再認識できます。だから、「そんなに急いでどこへ行く」が強烈に響きます。そんなに「スピー ドを出さずに、運転の楽しさを味わってください」といいたいのでしょう。一つの表現から他の表現(答え)が出てきます。答えは人によりさまざまでしょう が、少なくともこの標語を楽しむことができます。言葉だけにとどまらず、標語の内容についてその意味の“展開”があります。逆に、展開できる標語を選択す る必要があるのでしょうが・・・・・。

 子育てにおきましても同じことが言えます。一つの言葉、関わりから新たな展開があり、新たな答えが生み出される親子関係が大事です。
日本の「子育て」は、どちらかと言えば、子どもの「欠点探し」をしているような気がします。欠点を探し、それを指摘して矯正することが「子育て」と考え ていないでしょうか。意識はしていなくとも、現象としては当たらずとも遠からず、のようです。意識されていないというのが怖いですね。

 よく考えてみますと、子どもの欠点もその実、大人が、親が植えつけているのではないかと感じます。なぜならば、お子さまが幼少のころは、子どもがしてい ることを評価することはあまりないように思うからです。これでは子ども自身、自己発見ができないまま大きくなります。そして、何の取り柄もない自分に自信 がもてなくなっていきます。

 現代の子育てで大事なことは「ほめる教育」だといわれますが、やたらほめるのはいかがなものかと思 います。子どもがしたこと、言ったことが是か非かを確認することは大事です。その上で、ほめてあげても遅くはないでしょう。「確認作業」をどうしてするか といえば、それが子ども自身のためだからです。自分がやったことなのだという意識を持ってもらうこと、それが是か非かを知ってもらうことなのです。この経 過を経ずしてほめられても、何をほめられたのか子ども自身にも皆目わかりません。これでは、せっかくの「ほめる教育」も功を奏しません。

 今ひとつ大事なことがあります。お子さまが学校に行くようになりますと、必ず問題になるのが試験の点数です。100点満点で40点を取ってきたとしま す。そのとき、ご両親はわが子になんと言いますでしょうか?100点に足りなかった60点のほうが気になりませんか。「たったの40点!?」とわが子に いったとすれば、100点満点を期待していたことになりませんか。60がどうしても気になり、わが子の「ダメさ加減」の大きさに愕然としてしまいます。そ れは違うのです。40点を「取ってきた」のです。「もう少し頑張れるよ!」と励ましてあげる材料ができたのです。限りなくわが子の意欲を掻き立ててあげる ことです。そうすることを通して、子どもの中に適度な緊張感と集中力の継続が生まれていきます。そして、わが子の中にあるすべてのいいものが発揮されてい きます。

おわり