こどもの「甘え」
その1
「否定的発想」は他者を見誤る危険があります。どうしても近視眼的になっていく自分があります。そして、それが自分の「信念」と思い込んでしまいます。さらに、そうした自分の育ちに気づかないことはもっと怖いです。他の人も同じようにやっているから普通なのだ、と決め込んでしまうことが、自らの前進のために必要な「意識改革」を邪魔してしまいます。
あるお母さんの告白です。
「おはずかしい次第ですが、わたしは、今日のこの日までわが子の長所をただのひとつも見ず、毎日毎日バカだグズだと叱ってばかりいました。 ところがよく考えてみると、あの子はとても上手に下の子の面倒を見るのです。下の子がすぐに生まれたものですから上の子には手をかけてやれず、そのせいかあの子はわたしに甘えたがるくせがあります。それをわたしは、うるさいわね、などとただ叱ってばかりいました。 あの子にすまないことをしたな、ふとそう思ったら涙がこぼれてきて止まらないのです。皆さん、大変失礼いたしました」と。
子育て奮闘中のお母さん方のある集会での出来事です。自分のお子さまの長所を探し、相手役の他のお母さんに伝えるというプログラムでした。「控え目」な日本人気質からしますと、親ばかをモロさらけ出すことになるかもしれないのに、かなりの勇気が要ったのではないかと思います。
しかし、同じ心で信頼関係が樹立されている人々の間では、本音を出したくなるものです。そして、自分自身、すごく素直になれます。こうして互いは成長していきます。このお母さんの「意識改革」の第一歩になったのは間違いありません。
他方、子どもは親に甘えて(?)(愛して欲しいとの訴え)感性を豊かにしていきます。
その2
人間(もちろん子どもを含みます)は真に「学ぶ」と「変わる」ものです。「学ぶこととは変わること」「学んだことの証は変わること」です。人間がひとまわり大きく成長するときは、たいてい次の四つのステップを踏みしめたときです、とモンテッソーリは言います。
- 自分の自由意志で選ぶ
- 選んだものに続けて関わる
- 関わったことに困難が生じたとき、投げ出さないで全力で取り組む
- 全力を尽くして乗り越え、成し遂げる
この過程を踏みしめると、内面から安定し、調和が取れ、積極的になり、親切になり、従順になる、など、誰でもその奥底にあった善さがあふれてきます。この一連の過程をモンテッソーリは「活動のサイクル」と呼んでいます。この動きは民族、国を超えて共通して表れる活動です。子どものみならず、大人にも言えます。
この活動に入るきっかけをどうすれば発見できるかといいますと、ご自分のお子さまが、他の子どもがしていることをジーッと見ていることってありませんか?何もしないでボーッとしているのではなく、やり方をどうすればいいのかを集中して見ているのです。このような時、親御さんは、「あなたも一緒にやればいいのに」と言ってしまいがちです。お母さんがしていることに対しても、ジーッと見ていることがあるのでは? それにお母さんが気づいたとき、行動をゆっくりと、丁寧に見せてください。言葉は不要です。このような状態のとき、そのお子さまは「活動のサイクル」に入り始めたとみることができます。
こうした活動の繰り返しがあると、「甘えた」行動も、正常な子どもの反応であるとわかるのではないでしょうか。子どもはひたすら前にいくだけです。